クラブ「姫」は安藤組長・安藤昇の愛人時の愛称から名付けた【芸能界と格闘技界 その深淵】

2021/06/11 00:26配信【日刊ゲンダイ】

安藤組事務所の家宅捜索をする捜査員(1958年)/(C)共同通信社 安藤組事務所の家宅捜索をする捜査員(1958年)/(C)共同通信社

【芸能界と格闘技界 その深淵】#8

 山口洋子が安藤組組長の安藤昇と出会ったのは、彼女が東映の女優だった20歳のときである。安藤が実業家の横井英樹襲撃事件に関与した容疑で警察に追われると、洋子は当時住んでいた代々木のアパートに安藤をかくまった。また、映画の衣装や小道具を使い安藤に変装させることもあったという。

「女っていうより安藤組の組員の末席をけがしているというつもりでいましたから」(「週刊大衆」1993年8月23日・30日合併特大号)というコメントからもわかるように、代々木のアパートは頻繁に安藤組の組員が出入りしていた。なお、このときの顛末は、のちに俳優に転じた安藤昇本人主演の「実録安藤組 襲撃篇」(監督・佐藤純彌)と「安藤昇のわが逃亡とSEXの記録」(監督・田中登)という2つの作品で映画化している。

 刑事対策として安藤以下、組員の名前はすべて偽名で呼び合った。組長の安藤は「徳川」、組員は「松平」――安藤の愛人だった山口洋子は「姫」と呼ばれた。殿のそばにいる“姫”。以来、それが洋子の愛称となった。

「姫、ラーメン食うか」「姫、温泉にでも行くか」「姫、ハジキ撃ってみるか」

 程なくして、全国指名手配の末に逮捕、収監される安藤昇の姿を見届けるかのように、洋子はこの翌年、銀座7丁目の木造の2階に、バーテン1人、ホステス4人、面積わずか5坪の小さなクラブをオープンする。店名は「姫」と名付けた。この店で安藤の帰りを待っていようと思ったのかもしれない。

 山口洋子はオープン当初、次のように振り返っている。

《「姫」をオープンしたのは一九五六年八月八日で、始めた年はいつも忘れてしまうのに、八月八日という開店の日だけはいつもはっきり覚えている》(「ザ・ラスト・ワルツ――『姫』という酒場」山口洋子著/双葉社)

 そうは言うが、この回想をうのみにはできない。なぜなら、東映の女優になった年が1957年なのである。これでは女優になる前に、銀座の店をオープンしていたこととなり計算が合わない。「東映時代に安藤と出会ったこと」も「横井事件の翌年に『姫』をオープンしたこと」も、いずれも山口洋子自身が述懐している。安藤との出会いも店の開業も、時系列を勘違いするようなささいな出来事とは思えない。

《始めた年はいつも忘れてしまう》とはつまり、長年にわたってサバを読んでいたからにほかならない。おそらく「姫」がオープンしたのは1959年の8月8日で間違いないのだろう。

 くしくも同じ年の10月、野口修も家業の野口拳闘クラブを「野口ボクシングクラブ」と改称し、その興行部門を「野口プロモーション」として起業している。両親の庇護下にありながら、ボクシングプロモーターとして独り歩きを始めた25歳の野口修。クラブママとして小さいながらも一国一城の主となった22歳の山口洋子。

 若い2人は同じような時期に、独り立ちをしたのである。 =つづく

(細田昌志/ノンフィクション作家)


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