在日3世を公言する上方落語家・笑福亭銀瓶さんが明かす「芸の磨き方」

落語は日本を代表する伝統芸能の一つだが、同じ噺でも噺家によっては全く別の表情を見せ、噺家によってもそれぞれスタイルが違うという奥深い魅力がある。そんな中で、ストイックさが垣間見える「正統派の落語」を打ち出しながら、文筆家、舞台やドラマで役者としても活動する笑福亭銀瓶さん(54)。
1988年に笑福亭鶴瓶(70)に弟子入りし、2009年には第4回繁昌亭大賞、17年には文化庁芸術祭の優秀賞を受賞。さらに在日3世として自身のルーツである韓国語を独学で勉強し、05年から韓国語による落語も手がけ、韓国各地で公演を継続している。
落語の芸は一体どのようにして磨かれるのか? 笑福亭銀瓶さんに聞いた。
「落語は寄席や落語会という一つの空間で演者と客が同じものを共有するアナログな世界で、かつライブなんです。昨日ウケたものが今日ウケるとは限らない。新しい噺のレパートリーを増やしながら、稽古を重ねて高座でトライしていく。落語家としてのスタイルは一朝一夕にはできないもので、お客さんの前で何度もやっていくことで、後から形成されていくものだと思っています。最初は師匠がつけてくれる稽古で落語を覚えていきますが、目の前で師匠がやってくれたものの言い回しやニュアンスもまずそのままその通りにやっていって、一つの噺を覚えるというやり方です。噺の共通する部分と、自分ならこうするという『らしさ』の部分を、高座でお客さんとのやりとりの中から見いだしていくのです」
■ライブでアップデートを繰り返す
噺に登場する人物たちがどう生き生きと輝き、共感され、説得力が生まれるのか?
「落語はライブ」という言葉の通り、常に高座からお客さんとの生のやりとりを通して、分析し、軌道修正とアップデートを重ねているのだという。
「お客さんは笑ってるけど、今回はたまたま空気に引っ張られて笑ってるなとか、本来受けるべきところで受けていないからその前に言った一言が余計だったかなとか、口調の緩急など計算しているところもありますが、やはり落語は躍動感が必要。計算だけでなく、ライブ感を大切にする併立した感覚も必要になってきます。コロナ禍で最初はオンラインの寄席も増え、どこにいても落語に触れられる機会としては素晴らしいですが目の前のお客さんと生のやりとりができない落語はやっていてやはりつらい。ですので今は、無観客の寄席はお断りしています」
発声のためにスポーツジムで体幹を鍛え、歩きながら落語の稽古もするというストイックさだが、もともとは落語家になりたかったわけではないらしい。
■笑福亭鶴瓶に直談判し弟子入り
「タレントになりたくて、タレントの印象が強かった鶴瓶師匠のラジオ番組の入り待ちをして弟子になることを直談判しました。3年間の修業期間中に初めて落語と出合い、落語の世界に入りましたが、今でも『芸を磨く』というような大層なことは思っていません。ただお客さんに喜んで反応してもらいたい。それが生きる喜びです」
芸や自分の型というのは、理想を追い求める過程の中でおのずと生まれ出るものなのかもしれない。
(取材・文=SALLiA)