営業マンになったが成績は最下位…フィンガー5時代のヒット曲を歌うと【晃が語る「フィンガー5」とその時代】

2022/05/14 00:26配信【日刊ゲンダイ】

41歳で活動を再開(提供写真) 41歳で活動を再開(提供写真)

【晃が語る「フィンガー5」とその時代】#5

 歌手をやめて、きょうだいそれぞれ第二の人生がスタートした。当然、住まいもバラバラ。僕はアパートを借りるために父親に30万円ほど借金した。考えてみれば僕らの稼いだ金を管理していたのが父。それなのに借金だからね(笑)。返す前に父は他界した。いずれあの世で返すつもりです。

 住まいが決まり電器屋の営業マンとして始動。髪をばっさり切ってスーツにネクタイを締めて出陣。売っていたのはテレビやステレオだ。しかし音楽しか知らない僕に営業の仕事がうまくいくはずもない。成績ゼロの日が続き、「死ぬしかない」とまで考えた。

 見かねた沖縄出身の先輩から「玄関先でフィンガー5時代のヒット曲を歌ってみたら」とアドバイスを受けた。もう恥も外聞もない。8トラックのカラオケで“ヘーイ、ヘイヘイ”と歌うと「本物の晃だ!」と気が付いてくれる人が結構いた。買ってくれた人が知り合いを紹介してくれて売り上げナンバーワンになった。それでも何か物足りず……。不動産屋、住宅のセールスマン、大工など職を転々とした。三男のスナックでも働いたけど、兄弟だと甘えも出る。最後はクビになった。仕事に打ち込めない背景にはやはり音楽のことがあった。そして「やっぱり自分には音楽しかない」と復活を決意。フィンガー5の解散から24年、2002年にソロで活動を再開した。41歳の時だった。

 小さなライブ活動から始めたが、自由に自分の好きなスタイルで歌えるステージは性に合っていた。フィンガー5時代から僕は音楽プロデューサーと演出や歌い方を巡って衝突していた。譜面通り歌うより、自分の音感で歌っていたこともある。

 沖縄の土壌で育ち音楽に慣れ親しんできた者は体にしみ込んだ独自の音感を持っていると思う。例えば三線(沖縄三味線)。最近は譜面を見て弾くようだけど、これだとみんな同じ音にしか聞こえないから面白みに欠ける。かつてはみんな独自の発想で弾いていた。昔は音色を聴いただけで「〇〇さんの三線」とか分かったほどだった。

 僕の歌い方も沖縄で培った音楽が基本にある。ボーカル時代は歌うことだけで精いっぱいだったけど、ソロだと沖縄時代の自分の感性を取り戻せる。年を重ねた今、自分自身でも音楽を楽しめている。どこまで続けられるかは体力次第。同年代で活動している歌手仲間が病に倒れたりしているので気を付けてはいる。しいて健康法といえば6年前から始めた登山かな。

 沖縄人の僕は登山とは無縁だったが、出合いは登山靴だった。あるショップの靴を見て“かっこいいー”と一目惚れ。小学生の時に見つけたサングラス以来の衝撃だった。

 店員に尋ねると「登山用の靴」と言われたけど買った。登山靴を買ったのだから登山に行くしかない。しかし登山も音楽と同じく自己流。自分でテントを持って登るソロ登山だ。

 若い頃は毎晩飲み歩いてストレス発散していたけど、ソロ登山は誰にも気を使うことない。自然の中に身を委ねて英気を養っている。この分なら70歳までは音楽で頑張れそうだ。後は沖縄に戻ってのんびり老後を過ごしたいと思っている。 =おわり

(構成=二田一比古)

♪晃(あきら) 1961年5月9日生まれ。元「フィンガー5」のメンバー。現在も精力的に音楽活動を展開中。5月14日(土)、「まほろ座 MACHIDA」(東京都町田市)で「晃61stBirthday Live」、22日(日)、「magical fantasy」(東京都足立区)でアコースティックライブを開催。詳細は公式ブログ「山とネコと音楽と!!」まで。


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