二宮和也主演の大ヒット映画『8番出口』 ネットミーム化した「おじさん」の正体
「あれはもう、人間じゃない」
ニノこと二宮和也のそんな台詞が印象に残るのは、2025年8月に公開された不条理系ミステリー映画『8番出口』です。興収51.7億円の大ヒットとなりました。
同名の人気ゲームを原案に、元東宝の辣腕プロデューサーだった川村元気監督が映画化した『8番出口』の登場人物は、わずかに5人。舞台となるのは、主に地下鉄の通路です。製作費は2億円弱と推測されていますから、東宝をはじめとする「製作委員会」はウハウハですね。海外からリメイクのオファーも届いているそうです。
8月28日(金)の『金曜ロードショー』(日本テレビ系)で地上波初オンエア&ノーカット放送される『8番出口』が、なぜここまで話題を呼んだのか考察してみましょう。
「異変を見逃さないこと」と記された掲示板
主人公は、迷う男(二宮和也)です。名前はありません。満員の地下鉄に乗る迷う男は、派遣先へ向かっています。電車の中で、泣いている赤ちゃんにブチ切れるサラリーマンがいても、自分は関係ないふりをしてやり過ごしています。
迷う男はもっと大きな悩みを抱えており、他人におせっかいを焼く心の余裕はありません。別れ話が持ち上がっている恋人・ある女(声:小松菜奈)から電話で「妊娠しているかもしれない」と告げられ、どう言葉を返せばいいのか迷っていたのです。
地下鉄を降り、地下通路を歩いて出口へ向かうものの、いっこうに外へ出ることができません。サラリーマンふうの歩く男(河内大和)と何度もすれ違い、同じ通路をぐるぐると回っていたことに気づきます。おかしな異世界に紛れ込んでしまったようです。
通路には案内板があり「異変を見逃さないこと」「異変を見つけたら、すぐ引き返すこと」などと記されています。迷う男は、通路の壁にある広告や出口表示に異常はないかを慎重にチェックしながら、謎の異空間からの脱出を試みることになります。
『バックルームズ』でも話題のリミナルスペース
北米ではこの夏、ホラー映画『バックルームズ』が記録的なメガヒットを更新中です。無限に続くリミナルスペースから抜け出せなくなった人たちのサバイバルものです。日本では9月4日(金)から公開される予定です。川村監督の『8番出口』は、ひと足先にこのリミナルスペースを扱った不条理ドラマを映画化したわけです。
リミナルスペースとは、誰もいない放課後の教室、夜の会社といった静寂さを感じさせる空間のことです。スタンリー・キューブリック監督のホラー映画『シャイニング』(1980年)のホテルの廊下シーンなども、これに当たります。見慣れていたはずの日常空間が、不気味な非日常空間に思えてくる感覚は誰もが体験したものでしょう。『8番出口』にはモンスターは登場せず、日常のちょっとした異変が不安感を呼び起こします。
いつもなら多くの人が歩いているはずの地下鉄の通路ですが、繰り返し現れるのは張り付いた笑顔で歩くおじさんだけです。
まるで生成AIが生み出したようなキャラのおじさんを演じたのは、河内大和。シェイクスピアの舞台に数多く出演してきたそうです。同じ表情、同じ歩幅で歩き続けるという舞台出身俳優ならではの妙技を披露しています。
ニノから劇中で「おじさん」呼ばわりされる河内ですが、実年齢はニノの5歳上なだけです。ここは40歳を過ぎてもニノが相変わらず童顔のままなことに驚くところでしょう。
ヒットすべくしてヒットした作品
ゲーム好きなニノと一緒に「間違い探し」ゲームに参加するというシンプルさが『8番出口』の人気ポイントだと言えそうです。通路内の間違いを見逃さずにチェックすれば、地上への出口に近づきます。気づかずに見逃せば、永遠の無限ループが続くことになります。
川村監督は地下鉄の通路をリアルに再現し、2か月近い撮影日数を費やして、同じようなシーンを何度も何度も繰り返し撮影したそうです。
ニノと河内はセットにふたりきりの状態が長かったとのこと。カメラが回っていない間は、ふたりはどんな会話を交わしていたのかも気になるところです。
とてもシンプルな映画『8番出口』ですが、人気ゲームを原案に、リミナルスペースを先取りした話題性、カンヌ国際映画祭に出品しての箔付け、東京メトロとタイアップしてのパブリシティ展開など、川村監督は東宝時代に培ったプロデューサー手腕を発揮して、興行的な成功を収めてみせました。ヒットすべくしてヒットした作品でしょう。
ニノが無限ループに迷い込んだ理由
映画に対して批判的な声もありました。主人公たちに物語性を与えたことで、脱出ゲームとしての純粋な面白さが目減りしてしまったというものです。
ニノ演じる迷う男は、ある女と結婚し、生まれてくる赤ちゃんの父親になることに決心がつかないままです。そうした悩める心理状態から、無限ループに迷い込んでしまったという解釈が生まれます。ゲーム好きな人には、そこが余計なノイズに感じられるのでしょう。
おそらく迷う男は派遣社員で、給料はよくないのかもしれません。正社員に比べ、不安定な立場なので、そんな状況で自分が家庭を持ち、父親になることに自信が持てずにいるのだと思います。不安に感じるのは、当然と言えば当然でしょう。
交際相手になんと告げればいいのか答えが見つからず、迷う男は出口を求めてぐるぐると歩き続けることになるのです。自分から無限ループにハマってしまったとも言えるでしょう。
「??番出口」が見つからない日本人
物語の中盤、歩くおじさんも実は人間だったことが明かされます。おじさんはおじさんなりに悩みを抱えていたのでしょう。懸命に出口を求めて歩いていたのですが、結局のところ、大きな異変を見逃してしまい「あれはもう、人間じゃない」存在になってしまったのです。
笑いながら歩き続けるおじさんは、もはや悩むことすら忘れてしまったようです。
あのおじさんは、もう一人の主人公です。迷う男もこのまま出口を見つけられないと、おじさん化してしまうはずです。すでに迷う男は、恋人が妊娠していたという「異変」を見逃してしまっている状況です。
生きている人間は誰しも悩む生き物です。悩んでいることが、生きている証でもあると思います。ただし、悩みつつも見逃してはいけない異変にはリアクションする必要があるはずです。
正しくリアクションできず、悩むことさえ忘れてしまうと、おじさんになってしまうのです。あのおじさんは、『8番出口』を観ている私たち自身の「影」でもあるのです。
ドラマ性が弱い、都合のいい結末など、ツッコミどころはいろいろとある『8番出口』ですが、ストレスフルな社会で我慢しながら暮らし、将来に希望が持てずにいる今の日本人像をうまく伝えた作品だとは思います。
明日の地下鉄は気をつけて利用してください。うっかり異変を見逃すと、あなたのすぐ後ろにあのおじさんが笑って立っているかもしれませんよ。
(文=映画ゾンビ・バブ/映画ウォッチャー)
