『豊臣兄弟!』新章へ――かつての権力者・織田信雄が秀吉から受けた“辱め”と家康との謀略

2026/09/06 12:00配信【サイゾー】

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 前回(第33回)の『豊臣兄弟!』のハイライトは、9層からなる北庄城の天守から、柴田勝家(山口馬木也さん)と市(宮﨑あおいさん)が飛び降りていったシーンでした。史実では血まみれの惨劇だった勝家と市の最期でしたが、ドラマでは二人が乱世から青空に飛び立ったように描かれ、「史実から自由な大河」である『豊臣兄弟!』の良さを体現する一幕だったと思われます。前回のコラムでも指摘しましたが、「忠義」で知られる中川清秀(すがおゆうじさん)を「卑劣な裏切り者」として描いてしまったことでは大炎上していましたが……。


前田利家を“守る”ために選んだ演出


 そもそも「大河ドラマ」は、完全にフィクションである「時代劇」とは似て非なる「歴史ドラマ」というジャンルの作品で、史実ベースのフィクションという建前は崩せないのです。


『いだてん?東京オリムピック噺?』(2019年)など、現代に直接つながる時代を描いた作品では、登場人物のモデルやその家族、関係者からの訴訟リスク対策から「このドラマは史実を基にしたフィクションです」といった但し書きが登場したようですが、それは例外。


 基本的に「この番組はフィクションで」というようなエクスキューズは出さないという姿勢が、いくら本作が「史実から自由な大河」という基軸を打ち出しているにせよ、あの中川清秀の描き方では悪く働いてしまったようですね。


 さて次回(第34回)は「最強のライバル」と題し、秀吉(池松壮亮さん)と家康(松下洸平さん)のいがみ合いを描く内容となりそうです。これは戦国時代を代表する二大スターである秀吉と家康の生涯唯一の“正面激突”である「小牧・長久手の戦い」へのカウントダウンがついに始まったということ。


「自ら政治を動かすようになった秀吉(池松壮亮)は、その権威の象徴として絢爛豪華な大坂城を築城。諸国の有力大名が挨拶に訪れる中、家康(松下洸平)だけは関東平定を理由に姿を現さず、小一郎(仲野太賀)はその動向を危ぶむ。懸念どおり、信雄(山脇辰哉)が家康に接近、秀吉を倒そうと持ち掛ける。誘いを断る家康だったが、脳裏にはかつて今川家の人質だったころの苦境、そして信長の命で妻子を処刑した苦渋の決断がよぎり…」というのが次回の「あらすじ」ですが、次回も信雄からの「秀吉打倒」の誘いを断る家康という部分などドラマオリジナル要素が強い箇所について、今回のコラムではお話していこうと思います。


 天正11年(1583年)4月の「賤ヶ岳の戦い」で柴田勝家が滅亡したのは、前回のドラマでも取り上げられたとおり。ただ、実際は4月24日の柴田勝家の自刃、そして北庄城陥落の後も、柴田軍の残存勢力と秀吉勢の戦闘は続きました。


 柴田勢に加担し、捕縛された織田信孝(結木滉星さん)が自刃に追い込まれたのが5月2日(諸説あり)。


 さらに織田信長時代には柴田勝家に匹敵するような織田家中の重鎮として知られていた滝川一益(猪塚健太さん)も柴田勢として参戦していましたが、秀吉勢との激戦の末、北伊勢の地で滝川が降伏したのが6月20日頃。ちなみに滝川は罪を許されて秀吉の家臣となった後、天正14年(1586年)、62歳で病没しています。


 こういうあたりのぐちゃぐちゃした部分をドラマでは描かず、目の前で見た市たちの死に衝撃を受けた秀長が京都・大徳寺に籠もったシーンで代用していたわけですね。


 のちの千利休である千宗易(吉岡秀隆さん)との出会いが描かれましたが、いくら「茶聖」の利休居士とはいえ、割れてしまった器(と思われる器)を「金継ぎ」し、その直後に使用するのは無茶すぎる演出でした。「速乾ボンドかよ」とテレビに突っ込んでしまった筆者です。


 現代でも趣味人の間で金継ぎは流行っていますが、最適な温度・湿度で数週間以上乾燥させないと使い物にはならないので、読者は誤解なきよう。


 史実における秀吉の動向も確認しておきましょう。


 ドラマの秀吉と秀長が、月代(さかやき)――つまり額~頭頂部にかけて剃り上げたニューヘアスタイルにイメチェン、「わしは天下人になる」と家族や家臣たちにも宣言していたのが前回ラストでしたが、実際、秀吉に対抗しうる勢力は、西日本(とその周辺地域)からは事実上、消滅していました。


 この頃から、史実の秀吉も、織田信長遺児である信雄(山脇辰哉さん)を飛び越したような主権者として振る舞うようになっています。「賤ヶ岳の戦い」の戦後処理として、秀吉は信雄に、滝川一益の旧領だった北伊勢の長島領を新たに加増してやっているのです。尾張・伊勢・伊賀三郡を治める領国大名に格上げされた信雄は伊勢長島城へ移動。秀吉の「主」であるべき信雄としてはモヤモヤもあったでしょうが、この時点ではまだ秀吉からかなり厚遇されている側ではありました。


 しかし同・天正11年後半?翌・12年(1584年)になると、早くも秀吉と、本当は自分がリーダーシップを発揮したくてたまらない信雄の溝は深まるばかりでした。秀吉は豪華にしつらえた摂津大坂城に入り、信雄――名目上の織田家当主の意向を無視するかたちで「天下」の政務を独断で進め、両者の関係は劇的に悪化するのです。


 ですが、信雄のモヤモヤを尻目に、諸大名たちが次々と秀吉に臣従の挨拶に向かう中、徳川家康だけは「関東・甲信濃の平定で忙しい」と理由をつけて上方を訪れようとしませんでした。


 ドラマにもしばらく登場がありませんでしたが、史実の家康も「本能寺の変」の直後に起きた旧・武田領(甲斐・信濃)を巡る争い――「天正壬午(てんしょうじんご)の乱」を勝ち抜き、すでに東海から甲信にかけて5か国を領有する超巨大大名に成長していたのです。また勇猛果敢で知られた武田家の遺臣800余名からも起請文を取って、臣従を誓わせてもいました。


徳川家康による反意


 家康は諸説あるものの、清和源氏の子孫を自称する身の上です。彼にとっての自分はあくまで「亡き信長の同盟者」。実際は家臣同様に信長からコキ使われていたことも多々あったのですが、家康としては「この私が織田家臣の身分から成り上がった、どこの馬の骨ともしれぬ秀吉の臣下になる筋合いはない!!」という強烈な自負があったはず。


 つまり、大坂城に「臣下」としての登城拒否を続けた家康の言動には、相当な反意が含まれていました。


 さらにそこに天正12年3月6日、織田信雄が、秀吉に内通していたとの嫌疑で、岡田重孝・津川雄光・浅井長時という3人の家老――つまり重臣たちを伊勢長島城で誅殺する事件を起こし、秀吉との関係決裂が決定的となったのです。


 本ドラマの考証者でもある柴裕之先生の著作『羽柴秀長 秀吉の天下を支えた弟 (角川選書』によると、この処刑については「織田信雄は、徳川家康と相談のうえ」で行われ、「伊勢長島城にて羽柴秀吉との親交を持っていた津川雄光・岡田重孝らを殺害した」と明記されています。


 3人の処刑の実行前に、すでに家康との協議・合意があったと推測されることに注目しましょう。ドラマのように「権力欲に駈られた信雄が勝手に暴走、それを家康が後から利用した」というより、「両者で事前に綿密な計画が練られ、秀吉との手切れが計画されていた」と考えるほうが実態に近いようです。


 しかし興味深いことに、信雄に仕えていた3人の家老たちが「なぜ殺されなければならなかったか」という疑問については明確な回答が存在しません。これは江戸時代の人々も知りたかったことのようで、18世紀に成立した武将の逸話集『常山紀談』では、秀吉が信雄の重臣4人を大坂に招いて密談し、彼らに秀吉を裏切らないように仕向ける「起請文」を書かせたとされています。それに応じてしまった3人が、史実でも信雄に処刑された岡田重孝・津川雄光・浅井長時だったという描かれ方で興味深いのですが、まぁ、いかにも陰謀家(のイメージが強い)・秀吉らしいですよね。実証性はないのですが……。


 仮に「三家老が、主君・信雄を飛び越し、秀吉相手に起請文を書き、それを信雄が裏切りと見なした」という話自体が真実だったところで、江戸時代とは異なり、戦国の武家社会では複数の主君筋にこの手の誓詞を、何かが起きた際の「保険」にすることは常識の範囲内の行為だったことも述べておきます。


 しかしこの事件がきっかけで、「主君筋である織田信雄を、秀吉の専横から守る」という大義名分を得た家康は、同年3月13日、尾張清須城で信雄と対面。反・秀吉の名目での共闘態勢を明らかにしたのでした。


 なお、次回以降のドラマの内容になりますが、秀吉は圧倒的な軍勢数と物量の有利を生かし、伊勢・尾張の信雄方諸城をじわじわと撃破。攻撃されることに慣れていない信雄を心理的に圧迫する作戦に転じ、ノイローゼに陥った信雄は、家康に無断で秀吉との間に単独講和を締結(11月)。しかし、ここで信雄は、格下と思ってきた秀吉に南伊勢・伊賀国を割譲、人質を差し出す屈辱を経験するのです。


 さらに秀吉が送りつけてきた秀長をはじめとする使者たちから、適当な理由を付けられ、秀吉の臣下となることを約束させられ、名目だけでも織田家の実質的当主の立場から、秀吉配下の一大名に転落してしまったのでした……などと書きながら、筆者の脳裏には、ドラマの信雄が、捕縛された弟・信孝を実に複雑な表情で見ていたのが思い出されました。


 信雄というキャラは描かれ方次第で、『豊臣兄弟!』のストーリーに深みを与えること必定なのです。史実でも信孝の捕縛と死を目の当たりにした織田信雄という人物が、その時点で、自分の未来をどの程度予測できていたかは不明ですが、権力を失った(元)権力者ほど惨めなものはありませんから……ということで、次回以降の「新章」が楽しみです!


秀吉が計算づくで結んだ「作られた友情」


(文=堀江宏樹)


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